クチート使いの随想録

徒然なるままに

AI

 産業革命の生産手段の機械化に伴い、職を失うのを恐れた労働者階級はそれに対する反動としてラッダイト運動を起こした。

 AIが真に人間の生産活動/経済活動の代替となり得る程高性能化した時、新たなる、より革新的な産業革命が起こることは想像に難くない。

 産業革命に対するラッダイト運動は、今や200年も前の、遠い昔の話となり、もちろん現在の我々の社会はその産業革命時から発展してきた生産手段を土台として経済活動を行い、生活している。それはつまり、近未来におけるAIによる労働力の代替もまた現代の我々の杞憂に過ぎなくなるのではないか、という考え方もできるわけだ。

 ただし、ここで問題なのは、絶えず高性能化を遂げるAIによる完全代替が成され、新たなる産業革命が起こったとき、その利便性は脅威度と共に昔のそれとは比にならないほど飛躍し、進化していることだ。それはともすれば労働者階級に対する真の終止符になり得るかもしれない、という終末的な危険性を孕んでいる。

 だが、もしそれが更に、極限まで進化すれば、家庭レベル、社会全体にまで広く普及した場合、資本家階級と労働者階級との間に貧富の格差が起こり得なくなるのではないか、それどころか階級そのもの自体が役割をすべてAIに取って代わられることによって意味をなさなくなり、存在しなくなるのではないか。もちろんAIには賃金は不要であるため、AIのみによって為される経済活動における成果報酬は人民に分配される。

 ではその分配は誰によって行われるのか。真っ先に思い浮かぶのは国家政府だ。しかし、貨幣の価値は国家によって保障されていることは知っての通りだが、仮想通貨が日常の一部としてなりつつある現在、国家政府という考え方はもはや旧時代的なものになりつつあるのかもしれない。

 AIの、AIによる、人民のための社会主義とも言えるそれを、ユートピアと捉えるかディストピアと捉えるかは、様々な意味で人間次第だ。いずれにせよ現在のAI技術ではまだまだ遠い未来の話ではある。