クチート使いの随想録

徒然なるままに

三題噺「兄、銀、夕暮れ」

 冬の夕暮れは瞬く間に夜闇に呑まれ掻き消える。
 故にこそ、
 白銀世界に茜さす。その夢現の狭間の絶景は、筆舌しがたい美しさと、強烈な印象を以て心を塗り囚える。
 Every rose has its thorn. 輝かしい夕暮時はまたの名を、逢魔ヶ刻と言う。

 

 

 2月1日 水曜日
 不幸な事故だった。元日、両親は妹を連れちょっとした遠出をしていた。曰く「とっておきの雪景色を見せたい」と。気候が年中温暖で雪が降るなど珍しく、ましてや積もることなんて奇跡に近い地元から離れたことのない妹からすれば、それは確かに胸躍るサプライズだった。それは勿論誰からも責められるべきではない、愛情のこもった行為だった
 ただただ、運が悪かった

 

 2月2日 木曜日
 交通事故だった。それも自然災害による
 場所が悪かったのか、時期が悪かったのか、恐らくその両方だろう。山道を走っていた車は、突如崩れ落ちてきた純粋な力と質量の塊である雪の波にぐにゃりと、押し潰された

 

 2月3日 金曜日
 あの時まだ帰省していなかった呑気な自分が恨めしい、止めたり助言したり色んなことが出来たはずだ

 

 2月7日 火曜日
 妹は後遺症でほぼ寝たきり状態で、両親は未だ意識不明だ
 事故の前あんなにも元気溌剌としていたのに、今では目も見えなければ言葉も発さない
 精神的な理由?医者はまたよく分からないことを言う

 

 2月8日 水曜日
 今日もまた親戚どもがうるさい、後見人だと?この人でなしどもは親を殺したつもりでいるのか

 

 2月9日 木曜日
 妹は今日も見えない目でどこかを見ている
 やはり両親のことが気にかかるのだろうか

 

 2月10日 金曜日
 看護師が一輪挿しの生け花を取り替えていた
 お前は花以下だと笑っているのか

 

 2月11日 土曜日
 この部屋には看護師と医者以外に、煩わしい親戚どもがたまに来る
 妹の耳が聞こえないことをいい事に好き放題言ってくれる
 はやく消えてくれ

 

 2月12日 日曜日
 妹が魘されていた。手を包んであげると安心したように寝息を立てた
 妹は俺が守らなければ

 

 2月13日 月曜日
 会話をしていた
 医療費の話だ
 いつもへらへらと薄っぺらく気持ち悪い笑みを浮かべていた親戚の顔も、この時ばかりは剥がれ落ちていた
 いいザマだ

 

 2月17日 金曜日
 溜息が聞こえる、面倒だという息遣いが聞こえる
 うるさい、俺ら兄妹に構うな、失せろ

 

 2月18日 土曜日
 こんな腐った部屋に挿されてある花なんて禄なものじゃない
 部屋で初めて大きな音がした

 

 2月19日 日曜日
 こんな所からは一刻も早く抜け出すべきだ
 どこか遠くへ
 俺にそれだけの力があれば……

 

 2月20日 月曜日
 声がする。聞き覚えのある、聞き慣れていない、果てしのない声がする
 妹はまた魘されていた

 

 2月21日 火曜日
 こっちへおいで
 こっちへおいで
 こっちにくるな
 おまえはジャマだ
 いらないやつだ
 どうしてあなたは
 どうしてあなただけ

 うるさい

 

 2月22日 水曜日
 医者が来た
 回復は順調らしい
 順調だと?妹のどこを見てそんなことが言える
 順調なはずないじゃないか、回復しているはずないじゃないか、ダメなんだよ、ダメなんだ、それじゃあ……

 

 2月23日 木曜日
 落ちた
 真っ赤な林檎が落ちた
 慌ただしい看護師だ
 呼ばれてそれきりどこかへ行った

 何かが光った

 


 ましろのこころはゆきのした

 

 

 2月24日 天気 雪
 落ちたものを拾おうとした
 ぷすり
 指先から何かが流れ出した
 生暖かい、何か
 あ

 

 2月25日 天気 雪
 気づいちゃったから
 思い出しちゃったから
 夢はもう終わりみたい
 見えちゃうし、聞こえちゃうから、そんな人間にもう、夢を見る資格なんてないんだ
 でも、仕方ないよね

 だって、わたしにお兄ちゃんなんていないんだから……

 

 2月26日 天気 雪
 お父さん、お母さん
 わたし、ほんとうに嬉しかったの
 ずっと見たかった、生まれて初めて目にした穢れ一つない銀世界。お父さんとお母さんの思い出の場所だって、言っていたあの場所で見た、真っ白なまま夕暮れの茜色に煌めいた雪景色が、ほんとうに綺麗で、ほんとうに嬉しかった
 誕生日のあの日あの時初めて、自分の名前のほんとうの意味が分かった気がする。ほんとうにありがとう、お父さん。ほんとうにありがとう、お母さん。そして、ほんとうにごめんなさい

 

 2月27日 天気 雪
 わたし、覚えてるよ。はっきりと覚えてるよ。お父さんが必死になって防いで、お母さんがわたしのこと庇おうと、覆い被さったの。そのおかげでわたしだけが見つからずに助かったのも、べっとりと、お母さんの真っ赤な血で、顔が、目が、耳が、手が、体が、べっとりと……

 

 2月28日 天気 雪
 お父さん、お母さん、分かってるから、もうそんなに呼ばなくていいよ、疲れたでしょ。今行くから
 今日も雪が降っています。ずっと降っています

 

 2月29日 天気 雪
 あかねいろにそまるゆき


 窓一つない真っ白な部屋に、ただ一つ真っ白なベッド。そこは少女一人の血によって綺麗な茜色に染め上げられていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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