クチート使いの随想録

徒然なるままに

【短編】譲歩

「なあ、実は俺、朝倉のことが好きなんだ……」

生命力と瑞々しさに溢れていた緑葉の数々も赤く黄色く染まりつつある晩夏の夕暮れ、いつものように並んで下校路の川沿いを歩いているとタケルは急にそう口を開いた。

 僕は動揺を決して悟られまいと、必死に冷静さを取り繕って聞き返した。

「朝倉って、あの隣の組の朝倉瑞穂さん?」

 するとタケル、幼稚園からの長い付き合いである親友、野島健は少しはにかむように軽くうなずいた。

「いつから?」

「一回先生の手伝いで偶然一緒になったことがあって、その時からかな……」

「そう、か」

 それっきり、互いに会話もなく日が沈むのに合わせ歩き続ける。

 そうして、帰路が分かれる丁字路に着くと、タケルは再び口を開いた。

「なあ、トモ、手伝ってくれないか?」

 いつもは気軽に別れを言い合う場所で、タケルは真剣な表情でこちらを向いてそう言った。

 僕は金槌でおもいっきり頭を殴られたかのような衝撃に襲われ、言葉の意味を理解するのに数拍かかった。

 その間もタケルはこちらをじっと見つめるばかりで、薄気味悪さすら感じた。

「えっと、つまり、僕がタケルと朝倉さんが上手くいくよう手伝ってほしいってこと?」

 やっとのことで吐き出された言葉は、情けないぐらいに声音が小さく、震えを隠しきれていなかった。

 だが、そんなことに注意を払うほどの意識がないのか、タケルは気にも留めずに続けた。

「ああ、昔から俺がなにか困ったことがあったらお前が助けてくれたしな。申し訳ねえけどマジで頼む。お前がいれば百人力だ」

 親友から助けを求められるのは当然悪いことではない。むしろ喜ばしくさえある。だが今回はことがことだけに素直に喜ぶことはできなかった。いや、むしろ激しい苦悩の渦に否応なく叩き落された。

「……、仕方ないなあ、タケルは。まあ任せときなって」

 そうして幾百もの逡巡を経てようやく出された答えは、ある意味予定調和的なものだった。結局、悩むのは心の問題で、僕の目の前には一つの選択肢しかとれるものはなかったのだから。

「でも、具体的にはどんなことを手伝えばいいの?」

 なるべく落ち着いて、いつもの自分であるよう取り繕い、タケルに具体的な内容を聞く。

「まじか、くぅぅぅ、やっぱ持つべきものは友だよな!トモだけに。なんつって!まあ、簡単なことだよ、お前、委員会で朝倉と会う機会多いし話しかけやすいだろ?もうすぐ文化祭だからさ、その最終日にK教室に来るよう頼んで欲しいんだ。あと出来ればトモが呼んだってことにしておいてほしい、その方が呼びやすいだろうし」

「分かった。手伝うからには成功しろよ?」

 僕はからかうように、泣きそうになりながらも精一杯笑ってみせた。

 

 

「あ、大宮くんおはよう」

 委員会関係で早く登校して文化祭の準備をしていたら、ふと声をかけられた。

「朝倉さん、おはよう」

 朝倉瑞穂、二年間同じ委員会で一緒の馴染み深い相手で、長く透き通るような黒髪を左右で三つ編みに結んだ、ちょっとどこか抜けているところのある、おっとりとした女の子だ。この子がつまり、ぼ、いや、親友――、野島健の想い人だ。

「今日は早いね、委員会だからってそんなに早く来なくてもいいのに」

「それはお互い様だよ朝倉さん。僕らの出し物はこの学校の目玉だからね、頑張らないと」

「ふふ、それもそうね。さて、今年も頑張りますか!」

 涼しさを帯びた晩夏の風がカーテン越しに吹き込み、心地の良い作業音が朝の穏やかな時間を彩る。

 その居心地の良さに浸かりつつも、このような日常をもうすぐ感じることが許されなくなることを僕ははっきりと理解していた。

「朝倉さん、文化祭が終わった後ってなんか急ぎの用事とかある?」

 作業の合間に、さりげなく話を切り出す。

「んー、特にはないかなあ。どうしたの?」

「いや、ちょっとね、片付け手伝って欲しいんだけど、K教室に来れる?」

「もちろん大丈夫だよ、任せときなさい!」

 これで僕の役目は終わったはず……、だのに心にのしかかった錘は軽くなるどころかその重さを増していた。

 

 

 文化祭最終日、僕は先生の解散の号令と共に逃げるように家へと帰った。

 

翌くる朝、通学路の大半を同じくする僕は嫌でもタケルの報告を聞かざるを得なかった。

「やったぜタケル!全部お前のお陰だぜ。朝倉さん結構人付き合い避けてるとこあるからな、ゆっくり話す機会作ることすら大変だし。昨日はせっかくのチャンスだと思ってガンガン攻めたら了承貰えたぜ!サンキュー!」

 そうか。やっぱり成功したか。タケルは明るく豪快で、クラスでも人気者だしルックスもいい方だ。それに朝倉さんの押しに弱い性格も考えると失敗する方が稀だと思っていた。だからこそすぐさま帰ったのだけれど、一抹の、ほんの少し反対の期待がなかったかと言われれば嘘になる。だがそれも泡沫の夢としてむなしく弾けてしまった。

「おめでとう、ほんとうに。タケルが幸せなら僕もうれしい限りだよ」

 僕はどこがどのようにして発声したのかすら定かでないその言葉を、できる限りの誠意を尽くして発した。

 

 それからというものの、タケルと朝倉さんの仲はかなり良好らしく、毎日のように惚気話を聞かされた。内容もそれに対してどのような反応をしたかは何一つ覚えていないが、幸せそうなのは確かだった。タケルは血の気が多い時もあるが、同様にして仲間思いで、自他共に認めるいい奴だ。あいつならきっと朝倉さんを幸せにしてくれる。僕はそう思った。思う他なかった。それが僕の僕なりの、友情に対する思いだからだ。

 だが長きに渡る友情と言えど、いや、付き合いが長いからこそ時には些細なことで口論になったりすることもある。

 それはなんの前触れもなく、日常の一コマにおいて突然訪れた。

「なあ、トモ、やっぱそういうのはよくないんじゃないのか?」

 タケルが弁当を買い終わるのを待つ間、暇つぶしにでもと思って雑誌をペラペラ捲っていると、買い終わったタケルがビニール袋を提げながら急にそう言った。

 一瞬何がよくないのか理解が追い付かなかったが、一拍置いて手に持っている雑誌のことを指していることがわかった。

「いや、ちょっと待ってる間に暇つぶしでもしようかなーって」

「だからといって立ち読みはダメだろ、店の迷惑になる」

 タケルの言っていることはもっともな意見だし正論だ。頭ではそれを理解しつつも、僕は反発せざるを得なかった。

「いや、少しの間だけだったし確認する程度にしか見てないからいいだろ」

 するとその少し苛立ちの混じった返事が癪に障ったのか、タケルは語気を荒げて続けた。

「ダメなものはダメだろ、お前ももう子どもじゃないんだから分かれよ」

 もちろんそう言われて素直に引き下がれるほどその時の僕は冷静ではなかった。何か大きな、うねりのような衝動に突き動かされていた。

 そうしてヒートアップし続ける応酬が幾度も行われている内に、言葉とは裏腹にだんだんと落ち着きさを取り戻していった僕は、一刻も早くこの不毛で互いに損しかしない口喧嘩を止めようと切り出した。

「なぁ、もうやめようよ。こんな小さなことで争たってなんも意味ないだろ?」

 だがもはや爆発寸前、いや爆発中なのか、のタケルにはそれすらも煽りとして捉えられたのか、怒気を伴い言い放った。

「小さなことだと?ふざけんな、俺の言うことはそんなに無意味かよ、ああそうか。お前とは絶交だ、二度と顔合わせんな」

 そして踵を返し、こちらを振り返ることなく行ってしまう姿を僕はただ呆然と眺めるしかなかった。

 

 顔を合わせるな。言うのは簡単だが組が同じで通学路も被っているため現実問題として不可能に近い。だからと言ってこちらとしても会う気は欠片もなかったため、僕は翌日学校を休んだ。

 母が朝早々に働きに出かけ、風邪を偽って部屋に閉じこもった僕に出来ることと言えばひたすら考えることだった。

 一夜経ても、僕の中に荒れ狂う感情の嵐の大元はその勢いを失うことなく、依然として憤慨と鬱屈で溢れていた。

 なぜだ。

 なぜ。

 なんで。

 どうして。

 どうやって。

 僕はタケルからいともたやすく発せられた「絶交」という言葉に強く激しい怒りと羨望を感じていた。

 タケルが朝倉さんの話を切り出した時、僕は深く悩んだ。 

 僕だって朝倉さんが好きなんだ、それこそタケルなんかが好きになるずっと前に。

 でも僕がそれをタケルに言ったらどうなるんだ。素直に引き下がってくれるのか?タケルに限ってそれだけは絶対にない。きっと争うことになる。

 僕はそれがたまらなく嫌だった。朝倉さんがきっかけで、友情に亀裂が入るのをたまらなく嫌った。

 だから。

 だからこそ。

 それだけを理由に。

 僕は譲るしかなかった。

 穏やかなわけがない。

 でも僕にはそうするしかなかった。

 それで、タケルとの関係が保たれるなら。

 それも仕方ないかな、と思った。思うしかなかった。

 僕には無理だ、無理なんだよ。

 それをタケルは、いともたやすくやってみせた。

 なんのこともなくその「一線」を踏み越えた。

 僕には絶対にできないことを。

 ああ、羨ましい。羨ましいよタケル。

 思えば君はいつもそうだったね。

 僕はずっと譲る側さ。

 でもそれだって、仕方ない、僕の役割だって、納得してたんだ。

 ああ、タケル、今頃は朝倉さんに僕とのことを話しているのだろうか。

 きっと朝倉さんもタケルの言い分に協調して、僕のことを悪く言っているんだろうか。

 でも、それも仕方ないかな……。

 朝倉さんはタケルの彼女だから。

 僕は逃げたただの負け犬だから。

 ああ、タケル、羨ましいよ。

 僕が決して越えられない「一線」を、軽々と無視して踏み込んで、潰してしまう君がたまらなく羨ましく、

 そして、果てしなく憎いよ。

 ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになって、悲しさに濃縮されて、どうしようもなく、消え入ってしまうほど悲しくて、延々とそれが体中を巡る。

 

 

 そうして譲る以外の術を持てない弱い僕は、悲しみの源泉たる大海原を前に、逃げ続けることを選ぶ他なかった。