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クチート使いの随想録

徒然なるままに

異言語間のキャラクター像の差異

最近Twitterの垢を復活させたのはいいものの、見るのもツイートするのも億劫になりがちで、代償行動として内容の短い記事を濫投してますが…

 

閑話休題

 

外国語の文を翻訳するにあたってふと思ったことを少し。

 

私はそんなに諸外語について造詣が深いわけではないのですが、キャラクターを塑像するにあたっての口調や第一人称については日本語が他に比べてとりわけバリエーション豊かのように思えます。

 

なので、特にキャラの多様性に富む(テンプレ量産されてますが)ライトノベルを外国語に翻訳した時、根源的であり永久的な課題なのですが、キャラクター像にブレが生じる可能性があるのではないか、ということです。

もちろん口調も第一人称もそのキャラクターを構成する立派な要素ですので、同じ漢字を使う言葉で翻訳するならまだ相似度が高いかも知れませんが、全く違う語圏においての翻訳はかなり難しいのではないだろうか、もはや別のなにかに変生してしまうのではないかという恐れがあるわけです。

 

もちろんその逆もまたしかりで、日本語はその表現の多様性から外国語の物語を翻訳する時、キャラクターに必要以上な要素が付け加えられてしまうのではないか、という恐れもあるわけです。

 

どちらにしろ、古くから「韻律」の翻訳に関して多くの人々が頭を悩まし続けて来ましたが、文字変換の限界として、キャラクターを完全に同一人物として翻訳するのも困難を極めるのではないか、と思ったわけです。これは個人的に由々しく非常に気持ちの悪い違和感となるのですが、原典におけるキャラクター像を把握しきるにはネイティブに近い語感が必要になってくるため、これまた難しい問題です。

 

最後に関係ないのですが個人的に好きな和歌でも

 

天つ風雲の通ひ路吹き閉ぢよをとめの姿しばしとどめむ(古今集・雑・僧正遍昭)