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クチート使いの随想録

徒然なるままに

【随筆のような何か】正月のバイトで思ったこと~子どもの言葉~

12月31日から1月3日の四日間に渡って社寺で屋台のバイトをやっていたのでその際に思ったことや考えたことをてきとうに綴ってみようかなあと思った次第。

ちなみに12時間勤務途中休憩なしなのでカス

 

まず僕がやったバイトはスーパーボールすくいに分類されるやつなのだが、実際にすくうのはスーパーボールではなく、楕円体のツムツム?のキャラクターの玩具であった。

形式としては長方形の水槽の中にたくさんの玩具が浮かんでおり、それらがポンプによって作られた緩やかな水流によって水槽内を楕円を描くように流れ、金銭を払ってそれをすくい、可不可関係なく好きな景品を一つ選べる、といった具合だった。

この際は客が客を呼んで忙しいときは死ぬほど忙しかったトイレに行けずに死にそうになったなどといったようなことは極力省き、まずざっと印象に残ったことを幾点か。

・親子または三世代に渡る客が多い

これはスーパーボールすくいという遊びの特色上子どもとそれを引率する大人が集まるのは当たり前なのだが、子連れだからか客(親)の質が高いように思えた。具体的には子どもにダメなことははっきりとダメだと言ったり、遊び終わり景品を貰ったあとに「ありがとう」と言わせたりしていたことだ。あとこっちが忙しくしているのを見ると不平不満の声を上げずにおとなしく待ってくれていた点も印象深い。コンビニに来る老害カス能無し主婦どもとは格が違う。

・子供はカス

合法的に女の子の手と触れることができたりやわらかいなあと実感できたりした点はともかく、子供は性質上仕方ないのだが、自分のことしか考えられない。エゴだよ、それは!と言った具合に非常に自分勝手なのである。具体的にはばっと客が来てお金を預かり、すくいとボールを渡しつつ、すくい終えた客が所望した景品を取っている最中再三「少々お待ちください」と言っているのにも関わらず「お兄さん早く!私のは?」とか2回ぐらい急かしてきたカスがいたことである。

あと子ども見すぎて気持ち悪くなりました。

それと小学生の年齢でマニキュアは早すぎる、親は何を考えているんだ?(時代遅れ並みの感想)

 

以下が本題のような何か

この四日間を通してもっとも印象に残った子どもの放った言葉が二つある。

一つ目は水流に流されず水槽の四隅に止まった玩具らを見て「可哀そう!あの人たち取り残されてる!」というような言葉である。

まず玩具を別に比喩的な意図なく「人」と呼んだことに驚きを覚えた。最初は「俺のこと言ってんのか?でも意味わかんねえな」と思ったぐらいである。次ははたして本当に可哀そうなのか、と思考を巡らせた。この言葉(二つ目もそうであるが)を聞いたのは最終日である四日目の夕刻近くであるため、僕は実に忙しさの限りを体験した状態であった。もちろん僕が働いているということは水槽の中で玩具が水流に流されているということであり、彼らもまた終わりの見えない「仕事」に従事し続け、不平不満を抱けなければ報酬も得ることも出来ずにいた。もちろん玩具は意思も心もないのでその苦労と徒労を感じるのは勝手に想像している僕であるわけだが。つまりは永遠(のように思える)に流され続け=働き続ける彼らよりも四隅に寝ているように留まっているものの方が幸せなのではないだろうか、ということだ。少なくとも疲れはしない。もしくは思考そのものが終わりなき静という状態によって死んでいるかもしれない。などと益体もないことを考えたり考えなかったり。

二つ目は分類としてはスーパーボールすくいなわけだが、まあそこは創作的にということで。加えて季語も新年ではなく夏なのも事実に相反すると言わずに大目に見てほしい()

水槽を海といふ子や金魚掬